入院前の、はいつくばるように上の子と生活していた日々。
まだ外で遊びたいとか、幼稚園行きたくないとか、騒ぐ3歳児を引きずるように歩いた。
お腹がかちかちで、抱き抱えられなかったし、しゃがめなかったから、引きずるか、無視するか、ほぼ二択だった。
マンションのエレベーター横で、もう歩けない、と、立ち止まり泣き出した上の子をみながら、泣きたいのは私だった。
家は、あと3秒先だよ。
先に玄関に座り込んで、ドアをあけたまま、上の子が泣き止むのを待った。
子供の泣き声がマンション中に響き、心の中で何度も謝った。
住人に、子供に。
もう、子供を引きずる体力も、残ってない。
泣きつかれてエレベーター横で眠り込みかけていた長女を起こして、手をつないで帰宅したのは、30分以上後だった。
あの時、親としての生活は、既に破綻していたのかも知れない。
もう、子供の面倒を見る体力も気力も限界だった。
人間保育器として、点滴に繋がれていた日々。
今となっては、精神的にしんどすぎて、記憶が薄い。
生まれたら、忙しくなるから、今は充電の時期だと思って、と、言われた、その意味が、今なら分かる。
赤ちゃんの世話は大変だし、安静入院、出産を経た後は体力も、なかなか戻らない。
赤ちゃんがえりした上の子というおまけつきだし。
でも、入院生活に戻りたいって後から思うよ、って言われたのは、結局、理解できなかった。
わざとおもらしする上の子と、生後間もない赤ちゃんのタンデムおむつがえ。
食べこぼしの掃除や衣類に付いた汚物、動物園の臭いのするおねしょシーツの洗濯。
せっかく寝かした赤ちゃんを起こされ、赤ちゃんのベビーカーを乗っ取られ。
おかあさんなんてだいっきらい、と、罵られたかと思うと、食べさせて~、と、甘えられ。
下の子の授乳と上の子の夜泣きで眠れない夜をいくつも超えて、
それでもやっぱり、入院中よりは、ずっとマシな生活をしている、と、思うのは、
主人の寝返りで、ふと目覚めた時に、暖かなかたまり2つの生存を確認して、タオルケットを3人分かけ直して、また眠りにおちる、その瞬間の安心感だったり、
抱っこ紐で下の子をくっつけてるのに、抱っこをねだって、もう歩けないとだだをこねた上の子を2区画分肩車して歩いてくれた見知らぬ外国人だったり、
家族を描いた上の子のお絵かきや、下の子の「パパ、ママ、おねぇ」の発語だったり、
ひととのつながりの中で、何らかのご褒美を受けながら生きているからかもしれない。
あと、10年後には、足元にまとわりついたり、姿が見えないだけで泣いたり、抱っこして、なんて言ってこないだろう。
10年後、寂しく思うのだろうか。
それとも、やっと終わったんだと、胸をなでおろすのだろうか。
気付いたら1年を過ぎていたという事実が、バタバタの中で、毎日をどうにか回しているという、この泥臭い過ごし方が、懐かしく思い出せる日がいつか来ますように。
すべての入院中の方の幸せを願って…